◎可愛いだけでは・・・・? 内藤ルネと永田竹丸(2005/8/26)

 風一過の東京に繰り出した。先月も台風が去った翌日に外出したが、日差しが違っている。7月は刺すような白い日差しだったが、この日はオレンジ色のジンワリした日差し。もう夏も終わるんだなぁ。

 この日の目的は、文京区の弥生美術館にて開催の『内藤ルネ コレクション展』と、江東区森下文化センターで開催の『永田竹丸の世界 児童漫画と共に歩んだ50年』を鑑賞するため。途中千代田区神保町の中野書店に寄ろうと目論んでいる。なかなか忙しいスケジュールだ。

 お昼頃、地下鉄千代田線根津駅へ到着。言問(ことどい)通りの上り坂を弥生美術館へとゆっくり向かう。体力が衰えたと思う。ちょっとした坂道でも疲れてしまう。弥生美術館は何年かぶりに足を運ぶのだが、こんなに遠かったっけっていうくらいしんどく感じてしまう。

 

 

 東京大学の弥生門のすぐそば、弥生美術館に着く。東大のすぐそばで、非常にモラトリアムな雰囲気が心地よい。世間の荒波から守られた、静かな港のような感じだ。木々や鯉の池があったり、静かな美術館である。玄関先で、のらネコ君が出迎えてくれた。

 内藤ルネの展覧会は、3年前にも行われている。私は行きたかったけれど、とうとう行けずじまいだった。だから今回はぜひとも来たかったのだ。

 私は男だし、世代的にも内藤ルネの影響を受けた記憶はない。内藤ルネは、1951年生まれ。画家の中原淳一に見いだされ、少女雑誌でイラストレーターやデザイナーとして活躍した。私がその存在を知ったのは、ネットで見た弥生美術館での第1回展覧会告知だった。掲載されている絵に、すごく惹きつけられた。彼が描く、大きな目にくっきりと明快な線の、ポップでキュートな女の子達に、魅力を感じてしまった。今の言葉で言うと、“萌え”のある女の子像だと思う。

 彼は中原淳一らのような画家上がりのイラストレーターではなく、最初からコマーシャルの世界に入ったので、画家上がりのように原画を美しく描くという意識はなかったらしい。原画にこだわりはなく、印刷された結果に気を配っていたそうだ。だから、彼の手元にはほとんど原画は残されてないそうだ。また自身の手がけた作品、グッズ類も手元に残ってないらしい。だから前回、そしてこの展覧会は、全国のルネコレクターのコレクションを借りることで成立している。

 ルネさんの人物画は、同じようなポーズものが多い。すなわち立ち姿が多いのである。これは技術的に複雑なポーズが苦手だとかということなのだろうか?よく小学生くらいの女の子が描く絵には、お人形さんのような絵柄の立ち姿の人物画多いが、彼の絵はそれに似ている気がする。ルネさんはオカマなのであるが、心が少女のままだったので、あのような立ち姿のお人形さんのような絵を描いたのかもしれない。

 オカマであると書いたが、その筋の雑誌『薔薇族』の表紙も手がけており、原画が展示されていた。私は原画が好きなので、楽しませてもらった。少女雑誌を描いてきたせいか、汗くささがなくて、どこか可愛い男性画になっている。男々していないのだ。

 女の子を描く際に、唇をハッキリ描くと、可愛くならないことが多い。タラコ状に描くと、ブスになってしまいがちなのだ。逆に唇を省略してあっさり描くと可愛さが出たりする。しかしルネさんの描く少女は、唇が厚い。それがまた、ポップで可愛いのだ。少女漫画には詳しくないのだが、最近だと漫画家の安野モヨコさんとか、唇を厚く描いてる。おしゃれでポップな美人画を描く人に、唇を上手に描く人が多いと思う。唇を描くと、すごく肉感的な色気みたいなものが出てくると思う。女性がコケティッシュに見えるのだ。唇を強調すると、女らしい肉感が絵に表れる。女性らしさ=コケティッシュさを表すのは、唇の表現が大事なのかもしれない。女性の漫画家やイラストレーターに、唇を上手く描く人が多い気がするのだが、口紅を引く女性だからこその視点かもしれない。そういう意味だと、男でありながら心が女性のルネさんが、唇を強調して描くのも分かる気がする。

 そういえば、ルネさんの描く男性も唇が厚くて、すごくコケティッシュな感じがしたのは、唇をはっきり描いたせいなんだろう。

 

 物販コーナーで、物色していると、今村洋子サイン入り絵はがきがあるということで、ゲットした。今村洋子さんは、1960年代〜70年代に活躍した少女漫画家。絵柄が好きで、2年くらい前に、ネットで『チャコちゃんの日記』を購入した。4年前に弥生美術館で、今村洋子さんが取り上げられていて、その時作った絵はがきにサインを入れたものらしい(展覧会には残念ながらいけなかった)。一枚150円だったので、安いので購入したのだった。

 

 根津駅から、千代田線で新御茶ノ水駅下車。そこから神保町方面へと歩いて向かう。日差しが和らいだとはいえ、暑いことには変わりない。じっとりとした暑さ。疲れているしもう2時をまわっているし、中野書店に行く前にまずは昼飯だ。『定食バンザイ!』(今柊二/ちくま文庫)という本で、神保町に“キッチン南海”という、カツカレー&定食屋さんがあることを知り、この日は試しにそこで食べようという心づもりだった。書泉ブックマートの前にあるすずらん通りを歩いていくと、なかなか見つからない。もう通りが終わってしまうと思った時、右手にキッチン南海はあった。もう昼時は過ぎているのに、満席大繁盛だった。

 

 ちょうど空いたカウンター席に座って、まずは名物のカツカレーを注文した。同じ神保町のまんてんとは違い、キッチンというだけあるのか、洋食屋さんという感じの白いコック帽姿の男性が3人、厨房に立っている。威勢良く声を出していてなかなか活気がある。

 10分くらい待って、やっとカツカレーが到着。うわっ、黒っ!ルーがソースのように黒いのである。しかもややゆるめのルー。私はスープのようなルーより、とろみのあるポテッとしたルーが好きなので、ちょっとガッカリした。

 それにしても、たっぷりとしたルーの量。黒い海に、ごはんとカツの島が浮いているようだ。キャベツも多めに添えられていて、森のようである。

 醤油をかけて早速食べてみる。・・・ん、辛い。私は辛党だが、その私が辛いと感じた。かなり辛いと思われる。辛いもの好きには、好みの味かもしれない。

 カツにとりかかる。あっ、スプーンでカツが割れる。すごく柔らかい。パク。んっ・・・しっとりとしたカツだ。すごく揚げ油がしみこんでいる。ルーにからんでいるから、なおさらしっとりしている。悪く言えば脂っこいので、油っぽいのが苦手だと、ちょっと敬遠するかもしれない。でもこれはこれで、美味しい。

 かなりボリュームがあったが、美味しく完食した。店先には元祖カツカレーと書いてあるが、元祖はかなりくせ者であった。値段はまんてんよりちょい高めの650円也。こんどは定食を食べてみたい。

 

 

 満たされた気持ちで古書の中野書店漫画部へと向かう。藤子不二雄ファン同人誌の最新号を買うためだ。問題なくゲット。しかしその後が問題だった。ずっと探していた『まんだらけ風雲録』(古川益三/太田出版)を発見。ここで出会えると思わなんだ。世界的に有名な漫画古書店まんだらけの社長であり漫画家の古川さんが、創業から発展までを書いたもの。最近の本だと思っていたけれど、もう10年も前の本であり、時の速さに焦ってしまう。また同じ棚のすぐそばに、『隆一コーナー』(横山隆一/六興出版)という本を発見。横山隆一さんは、『フクちゃん』で戦前から戦後に活躍した漫画家。彼のエッセイ集みたいで、面白そうだと、もう手を離さなかった。藤子同人誌以外は買うまいとしたが、やっぱり散財したのだった。

 

 

 

 思わぬ出費をしながら、半蔵門線神保町駅から、清澄白河駅へ。先月も行った江東区森下文化センターへ。時計はもう4時を回っていた。急がないと、帰宅が遅れる。

 

 

 『永田竹丸の世界 児童漫画と共に歩んだ50年』。中にはいると、生原稿やカラー画が多数展示されていた。原画好きの私には、嬉しい展覧会である。

 1952年(昭和27年)の『漫画少年』での作品から、1992年(平成4年)の作品までの原稿が展示されている。

 永田竹丸(たけまる)さんは、1934年(昭和9年)生まれの漫画家で、児童漫画や家庭漫画というジャンルで活躍してきた。私は彼の描いた作品をほとんど読んだことはない。一度何かの雑誌に載った4コマ漫画を読んだ記憶があるのみである。ただ、コンビ解消するずっと前の藤子不二雄のアシスタントをしていた時期があり、藤子ファンの私は間接的には永田さんの絵には触れていることになる。

 彼の存在を知ったのは、小学生の頃である。藤子不二雄Aさんの自伝的漫画『まんが道(みち)』の大ファンだったのだが、作中に伝説のトキワ荘仲間として実名で登場するから、存在は知っていたのである。だから、永田さんの絵は、どこか懐かしい気持ちで観ることができる。

 彼の絵柄は、明るく丸みと清潔感があって、私の好きなタイプ。だがあまりに明朗・清潔すぎてちょっと物足りないかも知れない。

 この人は、描き飛ばしてないなぁと思う。線が丁寧。コマの隅々まで、じっくり描いている感じ。アシスタントを使っているだろうが、多くのアシスタントを使って大量生産的に描いた漫画という感じではない。永田さんの活躍した雑誌は月刊誌が多かったようだから、週刊誌連載のように時間に追われることも少なく、自分一人で原稿に手を入れる時間が割ととれたのではないだろうか。だから、じっくりした線が描けたのかと思う。

 原画を観ていてもっと読んでみたいと思ったのは、『ぴっくるくん』。小さな男の子型ロボットの話だが、ぴっくるくんが乗る小型飛行機が可愛いメカなのだ。こういうメカが出る話は好きです。

 

 

 永田さんのエッセイ『まんが横町の住人達』が閲覧コーナーにあったので、ちょっと目を通す。一時期アシスタントをしていた、藤子不二雄の2人の独立についての話を読んだ。彼らの独立の理由が建前的で、本音を言ってないとやや辛口。漫画から受ける明朗な印象とは違う、シニカルな物言いだ。漫画は虚構=建前でできている。彼らは建前が上手かった。だが、せめて独立は現実のことなので、本音を語って欲しいというようなことが書かれていた。私は今思い出して書いているので、細部はまちがっているかもしれないが。

 漫画は虚構の世界だけど、建前だけなのだろうか。その中に作家の本音や性(さが)が染みこむからこそ、作品に血が流れ、人の心を打つのではないだろうか。だから、藤子作品は今まで支持されてきたのではないだろうか。

 そう思って改めて永田さんの原稿を見ていると、作品に彼の本音が見えないということを感じた。フィクションに徹しているといえばそうだが、本気で読者にメッセージを出してないというか、空手でいう、寸止めの表現になっている気がした。それはどこか、読者はこの程度で十分と、読み手を見限っている風にも見える。また漫画=フィクションは、この程度の表現で良いという手加減が見える気がした。このエッセイのように、彼が持っているシニカルな面=本音を出していたら、もっと深みのある作品が描けたように思う。

 ・・・などど、へたくそなヒッキー・アマチュア絵描きの私は、生意気に思ったりするのであった。

 

 会場には月刊『広場』という、アマチュアの同人誌(?)があった。2005年8月号は永田さんの展覧会の特集がなされていて、過去の漫画も何本か掲載されており、記念に購入した。500円也。展覧会の図録関係は、展覧会を観たという充実感をもたらせてくれるので、つい買ってしまう。よく見ると漫画の他にも漫画関係の研究文章が多く、なかなか読み応えがある。赤塚不二夫のブレーンを長年務めた、漫画家で現在大学講師の長谷邦夫さんも寄稿していて、なかなか幅が広い読者層だ。

 

 この日は、なかなか充実した展覧会めぐりだった。

 ルネさんは、ここ数年イラスト界やマスコミ界で再評価の動きがあるが、永田さんは多くの人から忘れ去られようとしている。対照的な作家の展覧会だった。両者の評価の違いは、作家自身の本質が出ているか否かということがあるのではないか。ルネさんの作品には、彼の本質のようなものがしみ出していて、それが見る人の心に長い間残ったのはないか。永田さんは、どこか自分を抑制して描いている感じで、表現にひだがなく、長く人々の心に残りにくい結果になったのではないだろうか。簡単な言い方をすれば、作家性が強いか否かということではないか。

 両作家とも、絵柄はものすごく可愛いというのが共通しているけれど、それだけでは長く人の記憶に残る要因とはなりえないのではないかと感じたのだった。

←東大弥生門

←弥生美術館の正面。木々が溢れる、モラトリアムな雰囲気。

↓出迎えてくれた(?)のらネコ君(ちゃん?)

←唇を上手く描くと、肉感的でコケティッシュになるんだなぁ。

↑→今村洋子サイン入り絵はがき。全3種あるらしいが、1種類完売していた。

←キッチン南海

↑キッチン南海のカツカレー、650円。黒いルーが、個性的。スープのようなルーです。ちょい辛め。

↑左が『まんだらけ風雲録』、右が『隆一コーナー』。各1,000円也。お宝的価格はついていないです。『まんだらけ風雲録』では、商売が成功している著者の、鼻息の荒さが感じられる。

↑江東区森下文化センター。      

   

展覧会も立て看板。→      

   

←ぴっくるくん。バスのつり革にブランコみたいに座れるくらい、小さいロボットです。

←『月刊広場』。この号の表紙絵は、永田さん。会費を払った人が、作品(文・漫画・イラストなど)を投稿し、講読できるアマチュアのための創作雑誌。