◎2005(H17)/6/29(水) OB会 毎度悩みます。大学時代のサークルのOB会の通知・・・。 毎年ではないけど、時々不定期にOB会のお知らせが来る。同窓会の類は一切連絡がないので、ひきこもりの身にはこういうお知らせはすごく嬉しい。まだ俺って忘れられてないんだなって思えるから。しかし・・・。 大学を出てから14年。今では、頭はハゲあがり、体重は当時から20kgも増加して、変わり果てた醜い姿になってしまった。細っこい腕に、ポッテリと出たお腹。私には今の容姿が、大学卒業から今までのひきこもり生活をそのまま体現したように思えてならない。情けなさの塊。 変わり果てた姿を見て、かつてのサークル連中はどう反応するか、想像して不安になる。「こんなになっちゃって」という顔をされるのが・・・怖い。かつての面影がないから、「あんた誰?」って言われるかもしれないから・・・怖い。 そんな容姿でも、社会人として日の当たる道を歩いた結果だったら、まだ堂々とサークルの面々に会えるだろうと思う。でもひきこもった結果なんだから、私としては合わせる顔がない。私はサークルでは、副部長だったのだが、部員からなめられないように、当時かなり先輩風を吹かせていたものだった。かつては先輩風を吹かせていただけに、ひきこもったなれの果ての弱々しい姿を見せられない。 このように容姿が変わってしまい、学生時代とのギャップが心身共に大きく、かつての先輩像を今の自分は演じられないのが、出席しにくい理由の一つ。 サークルは、漫画研究会(略して漫研)であった。漫研というのは、まぁオタクの集まるところであるのだが、オタクっていうのは、結構主義主張が強くて、癖のある連中である。一癖も二癖もある連中と、昔みたいに今も渡り合えるだろうか、不安がつのる。結構打たれ強くならないと、渡り合えないのではないか。 一人二人と会うのなら、まだ気構えができる。プロレスで言うなら、シングルマッチに近い。レスラーが相手のチョップを胸でグッと受けるみたいに、グッと心の息を止めて相手の言葉を正面から受ける余裕ができるかもしれない。でもOB会となると、20人くらいは参加するだろう。そうなるとバトルロイヤルである。誰がどこから攻めてくるか分からない。先が読めない。後ろからパコーンと、言葉のラリアートがくるかもしれない。 それでも社会人としてのキャリアを積んで、心に筋肉がガッチリあれば、彼らの言葉の技が受けられるだろうと思う。 やはり今の、ひきこもりという状態で、無職で、経験値の低い自分では、出にくいということになる。でも過去の関係が切れていくのは、寂しいものがある。 かかりつけのカウンセラーの先生に、その辺を相談してみた。先生は、参考意見として次のことを言ってくれた。 過去の関係と、今の関係とを区別して考えてはどうかと。漫研時代は、私にとっては副部長という仕事をやりと遂げた、成功体験として記憶しているのだが、それはそれとして良い想い出として、心の中にとっておく。現段階はまだ心理的に会いづらいのだから、過去の関係を今に引き継がなくていいのではないか。昔からの友人関係が今もずっと続くことが世間的には良しとされている。そうできることに私は強く憧れがあるのだが、憧れと自分のできることとは区別する。 なるほどなぁ。今の自分にできないことをやろうとしても、無理なことだ。過去は過去。良い想い出として、自分の心のカプセルにしまっておくのも手ではないか。過去の関係を今に連続させる力がないのだから、それはあきらめる。割り切る。 少し気が楽になって、結局OB会は今回も欠席にしました。いつまで“欠席”になるか。それは私が、仕事人になれるまでだろう。あるいは、無職・ひきこもり状態をカミングアウトできるまでに、開き直れるようになった時。まぁそれまで根気よく誘い続けてもらえているという前提条件がつくが・・・。 日の当たる場所に出たいなぁ。 | ||